水上寺の経緯

「成田山水上寺の縁起」

当山、成田山水上寺は、西暦1888年・明治21年に千葉県成田市の真言宗智山派の大本山成田山新勝寺より勧請した不動明王をお祀り致しております。

当山不動明王像は、下総国成田の地よりお肩移しにて運び上州利根郡水上の地まで「28日間」を費して遷座された御尊像です。

この不動明王は、天保年間(1830〜1843年)頃に新勝寺の境内に有った1本の御神木から敬刻されたうちの1体で、日本三体不動尊と呼ばれる由緒深い御尊像です。

当山不動明王像は、明治21年11月8日に成田山新勝寺中興第14世貫首三池照鳳大和尚より開眼された直系の成田不動尊です。

明治21年からは、仮宮に御奉安されていた訳ですが、本尊勧請後73年目の昭和35年、当山開祖中興第1世小豆畑照清和尚お初め、初代奉賛会会長、当時の水上館館主、木村儀一翁等多数の人々の協賛により現住の山を開き開山、本堂落慶、を経て今に至ります。その後昭和40年4月8日に三笠宮殿下御夫婦が御来山され、その参拝記念に御夫婦で檜の木をお手植えされた記念樹や、当山開祖が命名された「宝珠の杉」などがございます。

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